ナルキッソス

ある日、ナルキッソスと呼ばれる少年が森の中で猟をしていた。

それを妖精であるニンペの一人エコーは思いを寄せて眺めていた。彼女はナルキッソスと話したいと思ったがそうは行かない事情があった。

話の上手かったエコーはヘラにゼウスとの不義の疑いをかけられた仲間たちを話を長引かせて逃がしたのであったが、その怒りの代償としてエコーはヘラから罰として答えることしかできないようにされていたためである。

ナルキッソスの方から話しかけてくれさえすればとエコーはその機会を今か今かと待っているばかりであった。

 

別の日ナルキッソスは道に迷ってしまった。「誰か居るか」と彼は問いかけた。

待ってましたとエコーは「ここに居ます」と答えた。

ナルキッソスはあたりを見回しましたがその姿が見えないので姿を見せるよう催促するのですが、なぜか同じ言葉を相手は繰り返すばかりでついに現れなかった。

「一緒になろう」とナルキッソスが言うと、エコーも「一緒になろう」と言うと嬉しさのあまり姿を現すとナルキッソスの顎に腕を回した。ナルキッソスは「話せ、お前と連れ添うほどなら死んだほうがましだ」と叫び声をあげた。エコーは必死に「連れ添うてください」と答えたがついにその恋路は叶わなかった。エコーは顔を赤らめ、その悲しみのあまり暗い洞窟へと姿を消した。やがてその姿すらなくなってしまい遂に声だけになってしまった。今でも誰かの呼びかけに彼女の声が返ってくることがある。

ナルキッソスはエコーだけではなく森のニンペ達を次々とからかいその恋路を踏みにじったので、その内の一人が復讐の女神に祈りその願いが受け入れられたのであった。

 

ナルキッソスは喉が渇いたので泉の水を掬おうと屈むとそこに映った姿に息をのんだ。彼は自身に恋をしたのだった。それ以降彼はキスをしようとしたり、抱きしめようとするのですが相手は水面に映った姿なのでそれらは叶うことはなかった。

ナルキッソスは寝食も忘れ池の周りを歩き回っていた。

ナルキッソスには納得がいかない。森のニンペは誰もが自分になびいた。相手には心がないとも思えない。自分が手を差し伸べれば相手も応じ、微笑みかけて手招きすればお前だってそうするというのに。どうして受け入れてくれはしないのか。

彼の恋心は燃えたまま、その美しさや勇気は見る影もなく血の気も失せた。うめき声をあげるとその声を聞いたエコーがそれを返すばかりであった。

やがてナルキッソスは死んだ。

 

死んだ者は三途の川を渡らねばならぬ。船に乗っていたナルキッソスは何かを見つけたとばかりに突然身投げし冥界にわたることができなかった。そこに水仙が咲いたので悲しんだニンペ達はそれをナルキッソスにみたて弔ったという。

 

【出典】『ギリシア神話

【関連用語】エコー、ヘラ、ナルシスト、ニンペ

【補足】

ニンペ(Nymphe)は元々若い娘の意味。森や樹木、花、川、泉などの精霊で乙女の姿をしており歌と踊りを好むとされる。読んでいる本ではニンペだが現在はニンフと呼ばれるそう。

 

エコーは今でも名前が残っている。日本語ではこだまややまびと言った自然現象のこと。漢字で書くと山彦や木霊であり日本でも誰かが自分の声を真似て返していると考えていたようだ。

ついでに書いておくとASD失語症において言葉をそのまま返す症状をエコラリア(反響原語)と言う。

 

ナルキッソスナルシシストの語源でもある。

現在では一般的に自惚れや自己陶酔的な人に使われるが、元々は心理学用語。

フロイトも用いており「母親が自分を愛してくれたように」、自分もそう振る舞おうとし結果として自分が自分を愛することになったと考える。また同性愛もナルシシズムであり相手に自分の理想を見出そうとしているとのこと。ナルシシズムフロイトの話に結構出てくるがまだ整理できてないのでちゃんと調べたい。

 

気になって調べたが水仙の花ことばは「自惚れ」「自己愛」「報われぬ恋」。