忘却曲線
エビングハウス(1850~1909)が発表した記憶に関する研究で得られた記憶の消失までの経過をグラフにしたもの。
行った実験は以下の通り。
まずローマ字3つをランダムに並べた無意味な音節を13個×8セットつくる。
例えばwymやqivなど。
これを1セットずつ記憶していく。
最初の記憶にかかった時間を原学習時間とし、一定の時間経過時点でもう一度記憶する。その際にかかった時間を再学習時間とする。
原学習時間から再学習時間をひいた結果の省略できた時間を既に覚えていたものとして扱い記憶と定義する。
そうすると以下の数式から記憶の定着率を導き出せる。
記憶の定着率(%)=省略できた時間÷原学習時間×100
19分後の定着率はおよそ60%、1時間で半減し50%
覚えるのに3分の180秒かかっていたのが、次の回には100秒で済んだ場合は、
80(秒)÷180(秒)×100≒44.4(%)
となるわけだ。
エビングハウスはこれを19分後、1時間後、8時間後、1日後、2日後、6日後、31日後に行った。なお最終的な記憶の定着率は8つのセットを行った上での平均となっている。
19分後の定着率は約60%、1時間で半減し約50%。1日後には30%程度まで減少。
ただその後は意外と変化しないようで、6日後30%を少し下回り、31日後でも21%を維持していた。
つまり大半の記憶は忘れてしまうが、その一方でで訳の分からない単語の羅列ですら1か月経っても20~30%は記憶ができるということでもある。
【出典】『記憶について——実験心理学への貢献』H・エビングハウス
【関連用語】エビングハウス、記憶
【補足】
ちなみにこの忘却曲線の実験だがいくつか問題点がある。
まず被験者はエビングハウス1人しかいなかった。いくら8セットを行ったとしても、これは単にエビングハウス個人の定着率であり、大人数でやれば個人差が出てくるはずだ。記憶力の良い人も居れば、悪い人も居ることだろう。
また記憶には意味が重要な機能を果たしていることも分かっている。
例えば√2=1.41421356だが、単純に数字だけ見て覚えようとすると大変だが、ひとよひとよにひとみごろ(一夜一夜に人見頃)と語呂を合わせると途端に定着率が上がる。
これは意識的な記憶の定着のさせ方だが、世の中には円周率を10万桁も記憶する人。数字が人の顔や色などの別の感覚にリンクしてさせる共感覚の持ち主など記憶には不思議なことも多い。
脳内にチャンドラグプタの単語が突然思い浮かび、それが何だったかは思い出せず家に帰って調べる羽目になったこともある。思い出す機会がないだけで脳は意外と多くの情報を保持しているのだろう。
ピグミー
小人の一族。
指先から肩肘の長さを意味する言葉が由来。
ナイル川の水源の近くに住んでいた。一説にはインドとの情報もあり。
ホメロスによれば毎年冬が近づくとピグミーが戦争の準備を始めた。
というのも冬には鶴がやってきて収穫前の小麦を食べてしまうからであった。
特徴的な彼らは様々な芸術においても取り上げられた。
ある話ではピグミー達は眠っていたヘラクレスへと進撃を始めたが、ヘラクレスは獅子の毛皮でできた着物でピグミー達を包み込むとエウリュステテウスのところへ連れて行ったという。
【出典】『ギリシア神話』
【関連用語】ヘラクレス、エウリュステテウス
【補足】
ピグミーはギリシア神話ではある一部族を指す言葉であったが、後に小人族全般を指すようになった。
本当に小人族は存在するのかどうかは長年議論の対象になったらしく、単なる神話上の作り話なのかそれとも本当にそういった民族が存在するのかで論戦が続いた。特に17世紀から18世紀になると植民地がアフリカやイ南米などの世界に広がり目撃談が増える。
ただそれらの目撃談は人間ではなく他の霊長類の見間違いだったのではないかと言う説もあり、その路線からチンパンジーの小型のものをピグミーチンパンジーと呼んだり、ボルネオオランウータンの学名にピグミーが入ったりと言う事態になった。
詳細な研究が報告は20世紀も中頃まで待たねばならなかったそうだ。現在での小人族の総称はピグミーではなくネグリロだそうで身長は最高150cmにも満たない。
また身長が著しく低くなる症状の疾患をまとめた小人症というものがある。
ちなみに任天堂から発売された「ピクミン」にはピクピクニンジンに似ているとされる植物型宇宙人?が登場する。全体的に小柄で頭に葉っぱや花がついた独特のフォルムをしている。赤、青、黄などのカラーリングがありそれぞれ固有の能力を発揮する。
大群をなして敵にぶつかっていく様は、まさに鶴を相手に奮闘するピグミーを彷彿とさせる。ゲームにこういった神話のキャラクターから名前をとることは多いのでもしかしてと思って調べてみた。
しかし調べてみるとピクミンの名前の由来は最初は数が多いので1匹、2匹から派生して「ピキ」となり、それだけではということで「pick me」という言葉と合わせたそうで全くの無関係であった。
偶然にしては面白い一致である。
ペネロペ
スパルタの王族イカリオスの娘。
イタケの王オデュセウスは大勢の競争者を下しペネロペに求婚した。
イカリオスはわが娘が居なくなるのを悲しく思い、何とかここに残るように説得した。
ペネロペはオデュセウスに相談した。オデュセウスは「それを決めるのは父上でもなく、ましてや私でもない。あなたが決めるのだ」と言った。
ペネロペはそれを聞くと何も言わず嫁入りのヴェールを被った。
それを見たイオカステは無理に引き留めようとは思わなかった。別れた後イオカステは貞節の像を立てペネロペを偲んだ。
およそ1年オデュセウスとペネロペは幸せに暮らしていたが、トロイア戦争がはじまりオデュセウスは戦争に赴かねばならなくなった。
ペネロペは1人オデュセウスの帰りを待ったが、待てども暮らせども帰ってこない。
オデュセウスは戦争で死んでしまったのだとか、行方不明だという噂がたつとペネロペに求婚するものも現れ始めた。
ペネロペは舅のラエルテスのために弔い用の被衣を織り上げるまではとても新たな結婚のことなど考えられないと伝えた。彼らはそれに納得しできあがるのを待っていたが一向にそれはできあがらなかった。
というのもペネロペは人目のある昼間はせっせと縫うのだが、夜になるとそれを解いてしまうのだった。
やがて人々は何事も絶えず行っているように見えて、決して完成しないことをペネロペの織物と言うようになったという。
【出典】『ギリシア神話』
【関連用語】オデュセウス、スパルタ、トロイア戦争、イカリオス、バートルビー
【補足】
オデュセウスはオデュッセウスともオデッセイとも呼ばれる英雄。
ホメロスの『オデュッセイア』は彼のトロイア戦争での活躍を描いたもの。
ホメロス版オデュッセウスはカッコいい主人公として描き直されているが、ギリシア神話だと冷静で智謀に長けている印象がある。
ホンダのオデッセイやゲームのスーパーマリオオデッセイなどにも名前が使われている。ちなみにコンピュータゲームで世界最初に成功したと言われるゲーム機本体の名前もオデッセイだった。
ペネロペの織物は日本ではあまり聞かない用語。
似たような話と言えばエンリーケ・ビラ=マタス氏の「バートルビー症候群」だろうか。
作家が自分の書いた文章を書いては、これではいけないと消すのを繰り返し作品がいつまでたってもできあがらなくなるスランプ状態をメルヴィルの小説の登場人物であるバートルビーから「バートルビー症候群」と呼んでいる。
欠けなくなった作家の話を集めた『バートルビーと仲間たち』にエピソードがまとめられている。
元ネタのメルヴィルの作品は光文社古典新訳文庫が入手しやすい。タイトルは『書記バートルビー/漂流』で、何を提案しても「それはしない方が良いと思います」と拒絶するかなりの変人でそのふるまいは世間の常識を超越しており、好奇心をそそられつつも恐怖感も感じる個性的で魅力的なキャラクターなので気になる方はぜひ読んでもらいたい。
ピュグマリオン
ピュグマリオンは凄腕の彫刻家。女性を忌み嫌い生涯結婚しないと誓った。
彼は自分の粋を凝らし象牙の女性像を彫り上げた。それはまるで生きているかのようでありピュグマリオンはその像に恋をした。
彼の恋愛感情は日に日に高まり、彫像に触れてみたり、生きていれば喜ぶであろう小鳥や綺麗な石や花や飾り玉や琥珀を贈ったりもした。
さらに服を買い求め着せたり、指に指輪をはめたり、首にネックレスをかけたり、ピアスをしたりとお洒落をさせた。
最終的に彫像を寝椅子に寝かせ、頭が痛くないように枕をあてがった。
キュプロス島のアプロディテの祭りは毎年盛大なもので、ピュグマリオンはその祭りに出て務めを果たした後、祭壇に行き「私の象牙の乙女のような女をくれ」と祈りを捧げた。祈りが終わるとそれに呼応するかのように祭壇の炎から火の玉が3つあがった。
ピュグマリオンは家に帰るといつものように愛しの彫像の元へ歩み寄った。
そして接吻をすると、驚いたことに温かい。ピュグマリオンは確かめるようにもう一度接吻をすると今度は間違いないと手足をかき抱いた。
胸中は不審や驚きや喜びや気がおかしくなったのではという心配など様々な感情がやってきては消えた。その間にもピュグマリオンはその体の柔らかさと肌のはりを確かめていた。
少し冷静さを取り戻すとピュグマリオンはアプロディテに感謝をささげた。
そしてこの事実を受け入れながらもう一度接吻をすると、その目が開き顔を赤らめた。そして彼女の目はピュグマリオンを捉えた。
彼らの間にはパポスという息子を授かったという。
キュプロスの町に彼の名前が残っている。
【出典】『ギリシア神話』
【関連用語】アプロディテ(アフロディーテ)、キュプロス、ピグマリオン効果
【補足】
アプロディテは他にアフロディーテやアフロディテとも呼ばれる。ローマ神話ではビーナス。愛と美と豊穣の神。
心理学の用語にピグマリオン効果というものがある。
この実験結果を報告したローゼンタールの名を取ってローゼンタール効果とも呼ばれる。
ある小学校の1年生から6年生の知能検査を実施した上で、各学年の担任にこの子は知能が高いと言って全体の2割の生徒の名簿を渡した。しかしながら実際にはランダムに選んだだけで実際の結果とは関係の無い名簿であった。
そして1年後に再び知能検査を実施した。
さて結果はどうなったか?
名簿に載っていた子ども達の成績は他の子どもたちに比べ明らかに成績が良かったという。
つまりこの子はできるんだ、将来性があるんだという気持ちを担任が持っていれば子どもがその期待に応えるということである。一方でこの子はダメだと担任が諦めていれば逆の結果も出ることが予想される。
子どもは思った以上に敏感担任や親の評価を察知している。それは言葉にしなくても態度の端々に現れるものである。ピュグマリオンの場合は相手が彫刻であったのでアプロディテの奇跡が必要であったが、生徒は日々変化する生きた相手である。
子どもに限らず誰かが成功する際にはその傍にその成功を信じる人が存在している。
誰かを真剣に応援するというだけでも何らかの貢献になっているのかもしれない。
他にも音楽を聴いたコウジカビが良いお酒を造るとかそういう話も聞いたこともあるが、それも職人の気持ちや仕草が丁寧になったのではと考えている。つまり誰かを力づけるには自分が元気だったり余裕がないといけない。
そういう意味でピュグマリオンは健康で自信に満ちた男であったのかもしれない。
ナルキッソス
ある日、ナルキッソスと呼ばれる少年が森の中で猟をしていた。
それを妖精であるニンペの一人エコーは思いを寄せて眺めていた。彼女はナルキッソスと話したいと思ったがそうは行かない事情があった。
話の上手かったエコーはヘラにゼウスとの不義の疑いをかけられた仲間たちを話を長引かせて逃がしたのであったが、その怒りの代償としてエコーはヘラから罰として答えることしかできないようにされていたためである。
ナルキッソスの方から話しかけてくれさえすればとエコーはその機会を今か今かと待っているばかりであった。
別の日ナルキッソスは道に迷ってしまった。「誰か居るか」と彼は問いかけた。
待ってましたとエコーは「ここに居ます」と答えた。
ナルキッソスはあたりを見回しましたがその姿が見えないので姿を見せるよう催促するのですが、なぜか同じ言葉を相手は繰り返すばかりでついに現れなかった。
「一緒になろう」とナルキッソスが言うと、エコーも「一緒になろう」と言うと嬉しさのあまり姿を現すとナルキッソスの顎に腕を回した。ナルキッソスは「話せ、お前と連れ添うほどなら死んだほうがましだ」と叫び声をあげた。エコーは必死に「連れ添うてください」と答えたがついにその恋路は叶わなかった。エコーは顔を赤らめ、その悲しみのあまり暗い洞窟へと姿を消した。やがてその姿すらなくなってしまい遂に声だけになってしまった。今でも誰かの呼びかけに彼女の声が返ってくることがある。
ナルキッソスはエコーだけではなく森のニンペ達を次々とからかいその恋路を踏みにじったので、その内の一人が復讐の女神に祈りその願いが受け入れられたのであった。
ナルキッソスは喉が渇いたので泉の水を掬おうと屈むとそこに映った姿に息をのんだ。彼は自身に恋をしたのだった。それ以降彼はキスをしようとしたり、抱きしめようとするのですが相手は水面に映った姿なのでそれらは叶うことはなかった。
ナルキッソスは寝食も忘れ池の周りを歩き回っていた。
ナルキッソスには納得がいかない。森のニンペは誰もが自分になびいた。相手には心がないとも思えない。自分が手を差し伸べれば相手も応じ、微笑みかけて手招きすればお前だってそうするというのに。どうして受け入れてくれはしないのか。
彼の恋心は燃えたまま、その美しさや勇気は見る影もなく血の気も失せた。うめき声をあげるとその声を聞いたエコーがそれを返すばかりであった。
やがてナルキッソスは死んだ。
死んだ者は三途の川を渡らねばならぬ。船に乗っていたナルキッソスは何かを見つけたとばかりに突然身投げし冥界にわたることができなかった。そこに水仙が咲いたので悲しんだニンペ達はそれをナルキッソスにみたて弔ったという。
【出典】『ギリシア神話』
【関連用語】エコー、ヘラ、ナルシスト、ニンペ
【補足】
ニンペ(Nymphe)は元々若い娘の意味。森や樹木、花、川、泉などの精霊で乙女の姿をしており歌と踊りを好むとされる。読んでいる本ではニンペだが現在はニンフと呼ばれるそう。
エコーは今でも名前が残っている。日本語ではこだまややまびと言った自然現象のこと。漢字で書くと山彦や木霊であり日本でも誰かが自分の声を真似て返していると考えていたようだ。
ついでに書いておくとASDや失語症において言葉をそのまま返す症状をエコラリア(反響原語)と言う。
現在では一般的に自惚れや自己陶酔的な人に使われるが、元々は心理学用語。
フロイトも用いており「母親が自分を愛してくれたように」、自分もそう振る舞おうとし結果として自分が自分を愛することになったと考える。また同性愛もナルシシズムであり相手に自分の理想を見出そうとしているとのこと。ナルシシズムはフロイトの話に結構出てくるがまだ整理できてないのでちゃんと調べたい。
気になって調べたが水仙の花ことばは「自惚れ」「自己愛」「報われぬ恋」。
ディオニュソス
ディオニュソスは神ゼウスと人間セメレとの間の子。
ヘラはゼウスが自分以外の女性に手を出したことを無念に思い一計を企てた。
乳母に化けてセメレをそそのかしゼウスに「天上の光輝」を見せて欲しがるよう仕向けたのである。ゼウスはセメレのお願いと聞いてすべて叶えると誓っていたため、もう後には引けずその姿を見せるとセメレは耐えきれず灰になってしまったのだった。
さらにヘラはニンペ達に養育されていたディオニュソスを狂わせた上で追い出した。
ディオニュソスはフリュギアの女神レアのてによって回復すると、彼女の宗教と葡萄の培養法を教える旅へ出た。特にインドが好みであったという。ギリシアにも教えを広めようとしたが不秩序と狂乱の雰囲気を恐れた君主からは反対の声があがった。
反対派の一人であったペンテウス王はテーバイで教えを広めるディオニュソスの儀式を禁止しようとした。しかし民衆は言うことを聞かなかった、それどころか友人や賢者からディオニュソスを許して欲しいといった声が届く始末であった。痺れをきらしたペンテウスは信者の一人を召しとった。
彼が言うにはディオニュソスは船に乗り込みナクソスに行って欲しいと言ったが、船員は彼を欺き奴隷として売り飛ばすためにエジプトへ向かった。それに気づいたディオニュソスは葡萄の蔓を木蔦を操り船を止め、騙そうとした船員をイルカに変えてしまったという。その時のディオニュソスは葡萄の葉の冠と木蔦の槍を装備し、その足元には虎や豹、山猫が現れ、笛の音と酒の匂いがしたそうである。この信者は船の中で唯一ディオニュソスを騙そうとしなかったため信用されナクソスへ案内したというのだった。
ペンテウスはたまらず話を打ち切ると死刑にしようとするが、その準備の合間に信徒はいなくなってしまった。
ついに辛抱を耐えかねたペンテウスは自ら祭儀場へ乗り込み中止させることにした。
狂宴の歓声が上がるやペンテウスはいきり立ち祭儀の真っただ中へと入って行く。そこには彼の母が居た。母は正気ではなく「野猪が来た。怪物が入ってきた。私が先陣をきって殺そう」と言い信者と共に襲い掛かってきた。ペンテウスはたまらず弁明するが聞き入れられなかった。信者の中に2人の叔母が居たため救いを求めたがその叔母たちに両側から引き裂かれてしまった。
そして「勝った。勝った。私たちがやってしまった。栄光は私たちのものだ。」と言う母親の叫びが響き渡った。
【出典】『ギリシア神話』
【関連用語】ゼウス、ヘラ、バッカス、セメレ、女神レア
【補足】
ミダス王の話にも登場したディオニュソスは葡萄と酒の神そして陶酔の神である。
ディオニュソスに憑かれた信者たちは横溢する生命観に陶然となって山野を踊り狂う。それは時として今回の最後のように狂気的な行動を起こすこともある。
こういった集団による狂気は時宗の一遍がやった踊念仏や幕末の「ええじゃないか」といったものを髣髴とさせる。
ニーチェはディオニュソス的とアポロン的を対概念として提示している。
ディオニュソス的原理において、創造と破壊を繰り返す自然の根源的生命に溶け込もうとする。一方のアポロン的な原理によって理性的にふるまうのである。
1885年から1888年に最も充実した執筆体制に入った。まさに憑りつかれたかのような執筆であったのだがついに1889年冬、狂気の世界から帰ってこなくなってしまった。ディオニュソス最後の弟子を自負していたニーチェにとってこの結末は満足のいくものであったのか。気になるところではある。
オイディプス
オイディプスは勇猛果敢な若者だった。
彼の馬車はデルフォイ間の狭い道で旅人を乗せた別の馬車と向い合う形となった。
相手はライオスと言うテーバイの王で「道を開けよ」と言う警告を発したが、オイディプスは応じなかった。すると王の従者はオイディプスの馬の1頭を殺してしまった。
それに怒ったオイディプスはライオス王もろとも従者を殺してしまう。
若者がテーバイに行こうとするとある噂を耳にする。道中、岩の頂上には怪物が居る。
怪物の名はスフィンクスと言い「謎を解けば通してやるが、できなければ死んでもらう」と言って誰も謎を解くことができず皆死んでしまったと。
オイディプスはそれは面白いと早速スフィンクスの元へ行った。スフィンクスは獅子の身体に女性の上半身がついた姿をしていた。
スフィンクスの謎は「朝には4本、昼には2本、夕には3本の足になって歩くものとは何ものか」というものであった。
「人間だ。生まれたての赤ん坊は四つん這いで、やがて2本の足で立つ。老年には杖が必要だろう。」
そうオイディプスが答えると、スフィンクスは謎を解かれたことを恥じ岩から身を投げた。スフィンクスを退治したオイディプスはテーバイの民衆に英雄として迎え入れられ王を亡くしたばかりの女王イオカステの夫となり国王になった。
しばらく後、テーバイが飢饉と疫病に悩まされた時。オイディプスは神託を聞きに行くと自らが行ったことの事実を知ることとなった。
それはライオスが自分の父であったこと、いずれ自分の命を脅かすと言われ捨てられたこと。それを知らずの内に殺めてしまったこと。そして今妻として愛していたイオカステが母であったこと。それを知らずの内に妻としていたことである。
その事実が明らかになるとイオカステは自殺した。罪を知ったオイディプスは両目を潰しテーバイを去った。
オイディプスの放浪には従者はいなかったが娘がついていったという。
【出典】『ギリシア神話』
【関連用語】スフィンクス、エディプスコンプレックス、ソポクレス
【補足】
オイディプスあるいはエディプスは単体の話と言うよりもフロイトのエディプス・コンプレックスの方が有名かもしれない。
エディプスコンプレックスは簡単に言うと幼少期の少年が身近な異性である母親に恋愛感情を抱くが、その成就には父親の存在が邪魔となり最終的に殺してしまいたいという感情とそれに続く罪悪感がないまぜとなった感情である。
突っ込んだ言い方をするとオイディプスはライオスを殺したときも相手が父親と知らず、イオカステをめとった際も相手が母であることなど知らなかったので実は一致しているところは少ない。
もしもオイディプスがイオカステを母と知らない状態で、あの女を自分のものにしたいと最初から計画しライオスを殺害したのなら筋は通るのだが。
岩波文庫版の話ではスピンクスの話として語られておりページ数にしてわずか2ページしかない。この話が有名になったのはソポクレスが悲劇として書き直したことによるだろう。
スフィンクスで有名なのはエジプトにあるスフィンクス像だろう。スフィンクス自体はギリシア神話だけでなくメソポタミア神話やエジプト神話にも登場しているのでスフィンクス像はまた別の背景を持っていると考えた方が良い。
またこの話は貴種流離譚である。素晴らしい血筋のはずが、予言によって親に疎まれ、捨てられる。動物や卑しい身分の者に育てられ冒険に出てその能力をいかんなく発揮するというもので世界中にこの型の話があるのは偶然ではないだろう。