ミダス王
①触るものをすべて金に変える力を得たものの餓死しかけた男。
ミダス王は酒の神ディオニュソスの養父でもあり先生でもあるシレノスを保護しそのお礼として何でもくれると言われました。その時に彼が望んだのが自分の手で触れたものがすべて金になるという能力でした。
道端の木の枝も石も土でさえミダス王の手にかかれば金に変わっていきます。
大層な喜びようだったのですが、家に帰って食事を取ろうとするなりその問題点に気づきます。パンをかじれば歯が折れそうになりました。よく見ればおいしそうなパンはいつの間にやら黄金に変わっていたのです。
恐るおそる杯をとりあげると杯どころか中のお酒までドロドロとした黄金になってしまいました。
こんな馬鹿な話があるかとミダス王は怒り出しさっさとこの能力を捨てようとします。
自力でどうにかしようとするのですがどうにもできませんでした。ミダス王はディオニュソスに祈りを捧げます。するとディオニュソスはパトクロス河の水源へ行って頭と体を浸して、その罪と罰を流してしまうよう言います。
早速ミダス王は河へ行き何とか事なきを得ました。実はこの時川の砂が金になりました。これが砂金の由来とのことです。
②懲りないミダス王は神に物言いをつけロバの耳にされる。
ミダス王は黄金の能力の件ですっかりまいったので、贅沢は辞めて質素な暮らしにしました。信仰も田舎の森林の神パンに捧げることにしました。
あるときパンは琴の神でもあったアポロンと音楽で力比べをすることになりました。
パンは笛を吹き、アポロンは琴をかき鳴らしました。審判であった森の神トモロスはアポロンを勝者としました。パンですらそれを認めているのにミダス王が物言いをつけました。
それを受けてアポロンは人の耳はもったいないとばかりにミダス王の耳をロバのものに変えてしまいました。ミダス王はそれ以降頭巾をかぶり人が耳を見ないよう細心の注意を払って暮らします。ところが髪結い人だけはその秘密を知っています。王様は絶対に言うなと脅しました。どうしても言いたくなった髪結人は穴を掘ってそこに王様の秘密をささやいて埋めてしまいました。すると蘆が生えて来てその秘密をささやき始めたといいます。
クワス
【内容】
クリプキの『ウィトゲンシュタインのパラドックス』に登場する計算方法。
あなたと友人と足し算をしていたとしよう。
最初は問題なく進むのだが、ある時から両者間で答えが合わなくなってしまう。
間違いを指摘すると友人が足す数か、足される数の片方が57を超えている場合は無条件に答えは5になるクワスという足し算とは別の手法を用いていたことが判明する。
だから、
56+56=112になるのにも関わらず、
1+57=5になってしまうのである。
このクワスは一見すると奇妙だが、なぜ片方が57以上のとき答えを5にしてはいけないかを足し算使用者が説明するのは困難である。
同様に自分たちが足し算の正しさを説明することも困難になる。
この時点で規則には正当性がないことが導き出される。
またこのクワスが発生する数字が57よりも非常に大きいものであった場合、私たちは普通に足し算をしている人間とクワスをしている人間を判別することができない可能性もある。
果たして規則に確実性はあるのかについてクリプキは疑問を投げかけている。
【出典】『ウィトゲンシュタインのパラドックス』
【関連用語】ウィトゲンシュタイン、言語ゲーム、懐疑論
【補足】
哲学は時として日常では思いつきもしないような、なぜそんなことを考えているのかと思わず首をかしげてしまうようなことを真剣に考えることがある。というか大抵はそういうことに頭を使っている。
クリプキは提示する例が思考実験としてもとっつきやすいのもあって非常に面白い。
何が真で何が偽かを巡る言葉の定義に挑んだ人々の話を聞いていると、実に興味深い。
それに加えて多くの人が何気なく使っている言葉は、こんな議論などにもびくともせず何とどっしりとしていることかと思いをはせざるを得ない。
私はまだ論理哲学や言語ゲームは不勉強であるが、実に興味をそそられる分野あることは間違いない。
『ウィトゲンシュタインのパラドックス』は最近ちくま学芸文庫で出たので、入手しやすくなった。
渾沌
【内容】
こんとん。
『荘子』の応帝王篇に登場する帝の名前およびそれに関わる話。
南を治める帝である儵(しゅく。たちまちの意)と北の海を治める帝である忽(こつ。にわかにの意)、中央を治める帝である渾沌(こんとん。あやなしの意)がいた。
三者が渾沌の治める地で出会った際、混沌は手厚く彼らをもてなした。
両者は世話になったお礼をしようと考える。
「そういえば渾沌には穴がない」ことを思い出した。
不思議なことに渾沌には目も鼻も耳も口もなかったのだった。それでいて見たり聴いたり食べることに不自由はしていなさそうだった。
彼らは「穴を掘ってやろう」と言い、一日に一つずつ渾沌の顔に穴を開けていった。
そして七日目、渾沌は死んだ。
【出典】『荘子』
【関連用語】ミロのヴィーナス(彼女には腕がないがまさにそのことが美しさの理由でもある)
【補足】
荘子には一見してもよく分からない話が多いが、その中でも気味が悪く今でも記憶に残っている話。
両者の帝の名前がたちまちやにわかにであることから、計画性なくその場の思い付きで動く存在なのだろうと推測される。
顔がないなら作ってあげようという思い付きから、一日にひとつずつパーツを作っていく。そしてすべての顔のパーツがそろったまさにその日が渾沌の命日になってしまった。
ミロのヴィーナスのように無い腕には無限の想像の余地があるためもてはやされるが、一度腕がついてしまえば数ある凡作に紛れてしまう。
渾沌も顔がないこと自体が、どのような表情かはご想像にお任せしますと言った本質であったのかもしれない。これを二人の理想の顔をうがつことによって奪ってしまったようにも思える。
人間が踏み越えてはならない領域に勢いで突っ込んだ挙句、何か大切なものがなくなっているという警句のように解釈しているが。
これもまた無理に意味をつけてしまうような、思い過ごしかもしれない。
テセウスの船
【内容】
元々ギリシア神話にある内容で、古代ギリシアの哲学者であり伝記作家であったプルタルコスがとりあげた。
テセウスがクレタ島から帰る際に使っていた船には合計で30分の櫂(オール)があった。船は長い間保管されていたが老朽化したため修理のため新しい部品が修理のたびにあてがわれていった。
そこでプルタルコスはこういった問題を提示する。
次々と古いパーツを新しいパーツに変えていったとする。最終的にすべての部品を交換し終わったとき、目の前にある船はテセウスの船と同じものなのだろうか?
それともこの古いパーツを組みなおして無理やり違う船をこしらえたとしたら、こちらこそテセウスの船なのだろうか?
【出典】『ギリシア神話』
【補足】
『中観』に鬼が身体のパーツをひったくっては別人のものにすり替えていき、最終的に頭もすげ替え「お前は誰だ」と聞かれたという話がある。
ちなみに人間の細胞も多くが死んで新しく造られたものに交換されている。
そう考えるとテセウスの船はまさに私たちの身体で起こっている問題ともいえる。
個人的な解釈を書いておく。
テセウスの船は「テセウスがクレタ島から帰る際に乗っていた船」であり、パーツを交換しながら形を維持するのはレプリカとそう変わらないと思う。
テセウスが乗っていたのはこういう船だったという説明には使えるが、あの時まさにあのテセウスを乗せた船は現存してはいない。あくまでテセウスが乗った船と同じモデルの船があるに過ぎない。
また古いパーツも、それから作られた別の船も当然「テセウスがクレタ島から帰る際に乗っていた船」ではありえない。
一度でも手を加えてしまったら、「あの時テセウスを乗せた船を改良した船」という別物にになったと考えるべきだろう。
そして私たちも常に過去の時点とは違う身体に乗っていることになる。その改良が成長か老化か分からないが移ろいゆく時間の中で同じものは一つとしてないのだろう。
改良がゆっくりと起こったために、かろうじて連続性を認められているだけかもしれない。アハ体験のようにゆっくりした変化は気づかないでいられるケースが多い。もし私の全細胞が一瞬にして別の細胞に置き換わったら自分が元々何者であったか気づけないかもしれない。
妄想はここまでにしておこう。
プロクルステスの寝台
【内容】
プロクルステスはギリシャ神話に登場する盗賊の名前。
彼はエレウシースの丘にあるアジトに通りかかる旅人に声をかけた。
「やすませてやろう」
だが彼にはある奇癖があった。それは彼の持っている鉄のベッドに客が寝た際に、客の背がベッドに足りなければ無理やり身体を引き伸ばし、逆に背が高ければベッドの大きさに合うまで体を切り落とすというものであった。
多くの客人を泊めたプロクルステスだったが、ついぞ彼のベッドにぴったりの人間が現れることはなかった。
何故ならばベッドは大きさが調節可能であり、彼は客人がそのベッドに乗る前に密かに大きさを合わないものに変えていたからだと言われている。
彼の奇癖を終わらせたのはアテナイの王テセウスで、彼はプロクルステスを返り討ちにして彼をベッドに寝かせはみ出た頭と足を切り落とした。
【出典】『ギリシア神話』
【関連項目】テセウス
【補足】
杓子定規。白黒思考。融通の利かなさなどの象徴的存在。
最初に枠を決めてしまったら、あとはどんな例外が出ることも許さず自身の定めた枠に当てはめていく偏狭な思考の持ち主にプロクルステスと揶揄されることがある。
しかし、実際には人を痛めつけるためにベッドの大きさを可変式にして前もって準備しておくなど柔軟さも合わせもつ極悪人。
どちらかと言えば相手を傷つけるために枠を作り、どんな相手が来ても効果を発揮するような枠を用意する用意周到な悪人こそプロクルステスの名にふさわしいのかもしれない。